パセリで何がわかるのか
まだ独身だった頃、幼馴染によく呼び出されて一緒にお酒を飲んでいた。
大抵は近場だったけれど、ある時は少し離れた繁華街だったりもした。
忘れもしない出来事がある。
研修開けで飲んでるからおいでという幼馴染に呼ばれて行った繁華街の居酒屋で、同僚だという人たちと席を共にした。
会話の途中で、あらかた食べ終えた皿の上にあったパセリをひとつ、手でつまんだ人がいた。
パセリは好きか嫌いかと言う話題だったように記憶している。
こんなのね、使い回してんだからたべたらあかんで。と言ってケタケタ笑って皿に投げて戻した。
そうなんやー!と、幼馴染は驚いて笑っていたが、酔っているとはいえ食べ物を粗末に扱うその人に驚いた私の目は全く笑ってなかったように思う。
私も幼馴染もパセリや薬味が好きなのでカルチャーショックだった。
こういう人もいるんだなぁとしばらく会話を楽しんだ後、明日早いからと言い訳して先に帰った。
ちなみにパセリ男の隣で激しく同意して同じようにパセリを投げていた人は後に幼馴染の夫となった。
そんな話をしても、へーそういう人もいるんやなー。使い回しは聞いた事あるけど。と言って料理に添えてあるものをパセリを含め、いつも残さずに平らげていたのは我が夫。
パセリに神様がいるのかは知らない。
でも、毎日お世話をして美味しく食べてもらえる事を願って出荷する農家さんはたくさんいるに違いなくて。
知っていてもいなくても、カッコつけて話す為に食べ物を粗末に扱うのはどうかと思うのだ。
食べる事は生きる事なので。
どんなふうに扱うかは、一事が万事この調子と思われても仕方ない。
絶望の淵から何度も立ち上がり、子供を何よりの生き甲斐にして強いおかあさんでいる幼馴染を思うと、件のパセリを思い出す。
何度も説明したけれど、話下手なのか伝わらなかった事が、未だにすごく悔しくて、かなしい。
小娘さんにはパセリの教訓としていつかお話しようと思ってる。
伝わるといいな。