晴れ時々ぼんやり♪

のんびりきままな徒然記

プチ登校拒否のきっかけ

最初に書いておくが 私はいじめられたことはたぶんない

気が付かなかったという可能性もないことはないのかもしれない

ただ、積極的に何か心が折れるようなことをクラスメイトからされた記憶はない

 

私の登校拒否は高校時代、ある授業をきっかけに始まった

(20数年前の話)

 

それはもともと私の苦手だった数学(代数幾何)の授業中起きた。

なんてこともなく教室の端から順番に名前を呼ばれて、聞かれた質問に答える一問一答。

私の番が来て、答えられず 順番は次の人に移るかと思われた。

 

その日は先生のご機嫌がよろしくなく、私はしつこく質問攻めに。

 

わかりませんと言っても次の人に移らない、段々こたえるのをやめ

首を振る動作を繰り返した

こんなこともわからないのか!と 声を荒げる先生

 

なんか悔しいなと思うのだ

生徒と教師の力関係は圧倒的で その理不尽さは

どうにも変えようがないし 変わらない

 

もう何十年も経て 今ですら こう思うのだけれど、

そんな風に怒鳴られたら どうしていいかわからないし

怒鳴られたからといって唐突に謝るわけにもいかず 

さりとて問題がわからないことの解決策は

生徒が謝ることではなくて 教師が解に導くことしかないように思う

40人の教室で大声張り上げて なぜわからない!と言われても

わからないものはわからないし 

(わからないところがどこかすらわからないレベルでわからなかった)

 

当時の私 途中から 口をきかない理由を自問自答し始めたけれど、

上に書いた通り、わからない生徒に答えを解かず導かず、ただ責めるだけの相手に

できることは何もないわけで

最初の問題がわかるとかわからないとか超えたところで怒ってらっしゃる場合

なおさら結論が出ない

 

さらに突き詰めれば どこがわからないかわからない生徒に何を教えたらいいんだっていうねw

まぁ 私が悪かったんですよ

ついていけない授業を選択したんだから

 

結局、授業は反抗的に喋らない私と 一方的に怒鳴る先生の根競べになり

チャイムの合図で幕を閉じた

 

数学は移動教室で合同授業だったので、他クラスの友人がすぐに駆け寄って声をかけてくれたが そういうのは女の子同士だと当たり前のことでたいした意味はない。

 

「わりと頑張って数学が苦手なことを隠してたのに、これで無駄になった。

もういいや

頑張らなくていいんだわ よし、家に帰ろう」

 

諦めた私の行動は素早く、トイレでちょっと悔し泣きをしてから自転車に乗って帰った。

数学というのは 何故かほぼ毎日あるので、それからは ほぼ毎日休んだ。

数学を受けずに済むように途中から登校したり、午前で帰ったり。

 

担任に「今日来ないと単位落として留年だぞ」と家に迎えに来られてしまうという首の皮一枚で繋がった綱渡り的高校生活をしばらく過ごし、数学は年末に追試を受けた。

いろいろ巻き添えで単位が足りなくなりそうな教科もあったけれど、基本的にテストは点数取れていたので問題なかった。

 

京都では珍しく雪が積もるようなくっそ寒い冬休みの最中

追試のための補習に通った

何故か私しかおらず、どうせ一人だし今日は雪降ってるしいいよねって

勝手に休もうとしたら かの数学教師が電話で「来い」と言う

 

溶けかけの雪でずるずるの道を自転車走らせて通った

なんでこんなことやらせるんだーーー くそーーーって思いながら

 

追試はクラスにいないタイプの子達が多かった 髪色が鮮やか

目立たないように一番後ろの端っこに座る

見回すと女子は片手で数えるくらい

解けた人から帰ってもよくて、普段ではありえないけど

一番最初に教室を出たのは私だった

 

追試の最高点は全問正解の満点。

満点が出るのは前代未聞の出来事だったそうで頑張ったねと褒められたけど、

1週間、数字違いの同じ問題解き続けたら 誰でも解ける。

あれは 先生なりの贖罪だったんだろうな・・

不正をさせてしまったような気がして今思うと申し訳ない。

 

ここまで書いて、思うこと。

心が折れるきっかけなんて 大人になった自分からみれば大したことない。

 

数学の授業を拒否していた間、私は図書館に入り浸り興味のある分野の本を読み漁る。

私が入学した年にできたというその図書館は道を挟んで高校の隣にあった。

本を借りるためには学校に行かねばならず、授業が嫌でも返却期限はやってくる。

私の高校生活は図書館がメインだったように思う。

読んだ本のほとんどは記憶の彼方にあって 読んだかどうかも朧気ではあるけれど。