晴れ時々ぼんやり♪

のんびりきままな徒然記

ちょっとだけ 実父に触れる。

彼は親戚の話を聞いても幼い時からの癇癪もちだ。

いつも なぜ怒り出すのか他人から見るとトリガーポイントがわからない。

いや ほんとにわからないの。

 

自分なりのルールがあって、逸脱したとみなすや物を投げたり殴ったり蹴ったりするので手に負えない。

その逸脱したっていう線引きが いつも違う。

 

この前は平気だったのに・・っていう事があるけど

指摘すると更に激怒するから あらゆる事柄で周りが気を遣う

 

私の記憶の中で祖母はいつも父が問題を起こすたびに 

おばあの育て方が悪かったんやと 親戚一同から責められていた。

今にして思えば まぁ そういう問題ではないよね。

 

どうもプロ野球から入団の話もあったらしいがそんなヤクザな世界には入れられないと親戚の一部が反対して父は自衛隊に入れられた。

2年だけやぞ!と豪語してその間 取れるだけの資格をとって 辞める時には上司が引き留めに祖父母の元へ通ったという話も聞いた。

 

こうと決めたらてこでも動かない。

そして この父にはできない事が結構多い。

接客できない 挨拶できない 

社交辞令が身についてないのですぐ人とぶつかる

世の中には白と黒しかなく どっちでもないものに腹を立てる

 

唯一人よりできたのが勉強と野球だったみたい。

(唯一と書いて 二つあるのはなにゆえかw)

 

では運動神経抜群かと言えば、そうではない。

自転車に乗れないのだ。

私が子供たちを自転車に乗せてあちこちでかけるのを危ない危ないと、事あるごとに車に乗せて送ろうとするのを不思議に思っていたある日、

従姉妹から こんな話を知っているかと聞いた話。

 

小学生の父がある日 野球の試合に呼ばれた。

隣村なのでちょっと距離がある、自転車で行こうとなった。

伯父が おまえは自転車に乗れんから来なくていいと父に言うと

わしかて乗れるわ!と フラフラしながらも ついてきたそうだ。

 

よほど怖かったのか、それ以来 自転車に乗った姿を見たことがないと伯父は語る。

 

またある時は、伯父が蔵(納屋?)の整理で出てきたという歴史年表の巻物を持ってきた。

小さな字でびっしりと書かれたその年表は幼い父が書いたものらしく、よくできているので遊びに来た時に見せてやろうと思って取っておいた、と言っていた。

父は勉強が良くできた人で高校入学時、首席だったという話までがお約束の1セット。

 

野球を始めてからは勉強をおろそかにした為、成績は急激に落ちるわけだが

父の記憶力の凄さはスマホ全盛期の今では考えもつかないアナログ時代にまで遡る。

 

平野ノラがネタにしている電話帳のようなごつい電話機を持っていた父。

分厚い鞄も持っていたし、電話番号を控えたメモ帳もあったとは思うが

電話するときにそういうものを見てかけていた覚えがない。

全部記憶していたように思う。

 

今と違って桁が3つか4つ程少ないにしても それで仕事が回るくらいの量の電話番号記憶するって結構いっちゃってる気がする。

電話する相手も仕事相手だけじゃなくて車のディーラーやら喫茶店やらありとあらゆるジャンルの番号記憶してたから。

 

ただ、私とオットの両親顔合わせの時に

「順風満帆」と言いたかったところを まんぽ と言い間違えた事を 

私は一生忘れないと思う。

いや どこで勉強とまってんねんや それ・・

 

というか、この父 どっちかって聞かれたら十中八九 何らかの発達障害もってる。 

癇癪もちっていう言葉で片付けられてきた戦後生まれの人がどれだけいるのか

ほんとに計り知れない。