晴れ時々ぼんやり♪

のんびりきままな徒然記

登校拒否するきもちがわかりすぎる件

私は元 登校拒否児だ。

経緯は前回書いた通り。

 

さらっと書いたが親と喧嘩もしたし、何度も学校に呼ばれた。

当時の校長先生は校長室の「克己」と書かれた額を指して、

怠けたいと思う己の心に克つんですよと説かれた。

 

私は怠けたかったのか、と自分に問う。

勉強は割と好きだったように思う。

 

数学が壊滅的で、圧倒的に私の理解の範疇を超えていたことは認める。

嫌で数学の授業から逃げたかったことも認める。

ただそれは、生徒が大勢いる教室でわからない事を一方的に怒鳴られるくらいなら

こうやって小さな部屋で叱られていたほうが千倍も万倍もましだと思ったからだ。

 

数学での一件を皮切りにして、私にはいろいろと気が付いたことがあった。

それまでは周りに合わせなくてはいけないと思って我慢していた事。

 

朝、自転車で登校する時、蟻の大群のように皆が一斉に同じ方向に向かって進む列に嫌悪感があるのに、そこに自分が含まれていること。

遠くで鳴ったベルの音が不快でも気にせずに走ること。

(耳が良いのでかなり遠くの音でも聞き取ることができる)

体育の授業の前後で狭い更衣室に押し込まれて服を着替えること、人が集まることで上がった温度の不快さ。

あちこちで小声で話す声。(かなりの割合で聞こえる)

夏場、女子の整髪料、制汗剤の香り。

教室の埃のにおい。

耳をつくチャイムの爆音。

 

雨降り、濡れた道路と油、制服の匂い。

張り付いた制服の感触。

湿気た教室の匂い。

人から上がる様々な匂い。(整髪料、制汗剤、柔軟剤、汗)

最後の4つはどうしようもなく不快で、自分ひとりではどうにもならなくて雨の日は学校を休むことで解決した。

雨の日は音も いつもより遠くの音が聞こえるので更に不快。

 

無理して登校すると胃が痛くて病院通い。

(原因はわからないと当時言われた)

 

書き出すと、音や匂いが主なことがわかる。

 

大人になった今、電車もバスも嫌いだし満員に近い状態だと乗るのに足が竦む。

人の多い街中に出ると帰宅後頭痛で動けなくなる。

今更 こんなことがわかっても何のプラスにもならないけれど、私は何らかの発達障害を抱えているのだと思う。

 

国語能力に問題はないし、数字に壊滅的な拒否反応があるけれど。

人との付き合いはほんとに嫌いだし、そんなことするくらいなら

こうやってつらつらとタイピングしてるほうがましだ。

 

ただ、登校拒否は顕在化した一部であって、

他人から見て問題なければ 問題なしと判断されてもしかたない。

だって、その時代 発達障害なんて一般的じゃなかったんだから。

グレーゾーンにいたとしても ちょっと変わった人というカテゴライズでおしまい。

 

私が幸せだったのは、学生時代人付き合いに問題があって学校が嫌になったわけじゃないということ。

単純に集団生活に馴染めない要素を多く持っていたせいだと自分でも納得できている。

 

だから、自分の子供がもし学校行くの嫌だと言い出して

理由が上のものだった場合は、いかなくていいよって言おうと思っている。

それらは自分でなんとかなる問題じゃないから。

おまじないみたいに「気の持ちよう」とか言ってる間に心が折れる

 

テストが嫌だとか、誰某と喧嘩しちゃったから、発表が嫌だとか

そういうのは 無理やりでもいかせるけどね。

 

ただ、ほんとに もし、もしかしたらいじめられてるかもって

本人がちょっとでも思うようなことがあれば全力で対応するし、してきた。

いじめてる側が圧倒的多数の場合は 学校には何も期待しない。

引っ越しして環境を変える、変えた。

この点ではオットと意見が一致しているので特に今まで問題はない。

この方法で正しいという自負もある。

 

いじめによる自殺のニュースを見るたびに、

死にたくなったら言ってね 学校には行かなくていいから!

学校なんか長い人生のほんの通過点なんだよ 全部じゃないから

死ぬほど嫌なら行かなくてよし!!

他で勉強してもいいの、義務教育の義務という言葉は 親にかかってる。

教育を受けさせる義務で、子供にはそれを受ける権利がある。

勉強できる所は他にもあるし、選ぶ自由もある。

それだけ。

って いつも話してる。

 

問題は、こどものきもちがわかりすぎて しょうがないなぁ・・と学校を休ませてしまうことがちょいちょいあること。

あまいわ・・わたし。